パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト レビュー

こんにちは、まさみです。

ツール・ド・フランス、東京オリンピックでのロードレースと自転車好きにはたまらないイベントが続きましたね。

今年のレースで表彰台に登った選手たちも、いずれ伝説になるでしょうが、今も既に伝説のサイクリスト、マルコ・パンターニ。

ほとんどロードレースのことを知らない私でさえ聞いたことのあるサイクリストです。

今日は、そんな彼の栄光と疑惑、悲劇の死に迫ったドキュメンタリー「パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト」を見た感想を書いてみたいと思います。

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マルコ・パンターニと自転車

パンターニは12歳の頃、地元チェズナティコの子ども自転車チーム、ファウスト・コッピに所属し、自転車に乗り始めました。

彼と同じ建物に住んでいたチームのコーチが、チームの子どもたちと仲のいい彼を誘ったそうです。

初めは母親のママチャリで参加していましたが、父と祖父が赤い自転車を買い与え、これがパンターニ人生最初の一台になりました。

お風呂で自転車を洗って母親のトニーナさんに怒られていたとか。笑

アマチュアサイクリストとしてレースで実績を上げ、同じ街でプロチームの運営をしていたヴィットリオ・サヴィーニに才能を見出されたようです。

平地では並の選手、登り始めも必ず最後尾にいるが追い上げる。

サヴィーニはパンターニに「なぜ上り初めにいつも最後尾にいるのか」と聞いたそうです。

パンターニは「みんなが苦しむ顔を見ると気持ちがいい」と答えた・・・って結構凄い答え。笑

カレラと契約してプロに

1992年、カレラと契約してプロに。最初からビアンキではなかったんですね。

母トニーナさんは、パンターニがプロになった時、「自転車を辞める」と言っていた、その理由を「マフィアだ」と答えたと言っています。

意味深ですね。

1995年、ツール・ド・フランスで初のステージ優勝を飾り一躍スターに。

しかし、その同じ年にミラノ〜トリノ・レースの下りで、逆走してきた車(まさかの警察車両?!)と正面衝突し重傷を負います。

医師からは再び歩くこともできないかもしれないと告げられ、復帰が絶望視される中、本人は「もっと強くなって戻る」と宣言したそうです。計り知れない精神力・・・

そして1997年、メルカトーネ・ウノと契約し選手に復帰します。信じられない。

更にその年のツール・ド・フランスではラルプ・デュ・エズの山頂ゴールが設定された第13ステージで優勝し、総合でも3位に入賞し完全復活を果たしました。

この頃クリスティーナさんという女性と出会い、お付き合いを始めたようです。

ダブル・ツール達成

1998年、ジロ・デ・イタリア総合優勝。

同年のツール・ド・フランスでも優勝し、同一年で2つのグラン・ツールを制するダブル・ツールを達成。

しかし、この年のツール・ド・フランス直前、プロチーム・フェスティナのチームカーが警察の捜索を受け、チームのマッサージ師が逮捕される事件がありました。

マッサージ師の証言によりドーピングがチームぐるみで行われていたと判明し、チーム・フェスティナは出場停止に。

これをきっかけに次々と出場チームと選手たちが捜索される事態に。

選手たちのストライキなども発生したもののレースは続行され、結局パンターニの総合優勝となりました。

この年からビアンキに乗っていたみたいですね。その辺は映画の中で特に触れられていませんでしたが・・・

そしてこの頃、EPOという赤血球の量を増大させるドーピングの捜査が拡大。オランダの若い選手が睡眠中に死亡した事件もあったようです。

人工EPOを摂取しすぎると、就寝中に心拍数が下がって危険だということで、就寝中も心拍モニターをつけて眠る選手もいたとか。

心拍が落ちすぎるとアラームが鳴るので、夜中でも起きて自転車に乗って心拍数を上げる。って、凄い話だ・・・

もしも人工EPOの使用が判明したら、2週間の出場停止処分だったようです。

1999年のジロ・デ・イタリア

チェーントラブルで集団から大きく遅れながらも、チームメイトのアシストもあって数十人をごぼう抜きの末ステージ優勝。

しかし、監督からは次のステージは勝つなという指示があったとか・・・

数々の名だたるスポンサーが各チームを支援しているため、譲り合うのが常識だった・・・というような解説だけど、

「お前のスポンサーばかり目立つとバランスが悪いから、明日はどこそこのチームに勝利を譲れ」みたいな指示が本当にあったのかな?!

しかしそんな指示には従えないパンターニ。次のステージも勝っちゃうんですね。

それが原因だったのか、はっきりしたことは今となっては分からないのでしょうが、翌日の血液検査で人工EPOのドーピング陽性と判定され、2年連続の優勝を目前に出場停止になってしまいます。

本人は前日から検査のことを知っており、検査結果が届くまで和やかに朝食をとっていて、全く心配する様子もなかったそうです。

何かの陰謀だったのでしょうか・・・

これをきっかけにパンターニの選手人生が変わり始めます。

「事故など比べものにならない」と語るほどの落胆ぶりだったとか。

「自らの自転車人生が否定された、努力も何もかも疑われる」とも語っています。

完全引退も囁かれる中、徐々にトレーニングを再開したものの、路上で知らない車の運転手に「帰れ、イカサマ」と暴言を吐かれた、なんて話まで・・・ひどい!

薬中扱いされることを不本意に感じながらも、実際にコカインに手を出してしまい、同年のツール・ド・フランスも結局欠場してしまいました。

ダブル・ツールを達成して英雄と持ち上げられた次の瞬間には、ちょっとした躓きで手のひらを返される。一体どんな気持ちだったのか・・・

本人も自分ははめられたのだ、と思い込むようになっていったようですが、責める気にはなれないですよね。

実際に、なぜかUCIの幹部が現場に押しかけていた、その年から自転車レースの賭博が解禁になった、など陰謀を疑わせる事実もあったようです。

2000年のツール・ド・フランスで復帰

第12ステージ モン・ヴァントゥ、当時の王者ランス・アームストロングとの激闘を制し歴史的な復活を果たします。

しかし、アームストロングがこの時の勝利を、いかにも自分が譲ったかのように語ったことで、パンターニはブチギレ。まあ、当たり前ですよね・・・

パンターニはこの後の山岳ステージでも優勝を飾るものの、胃痙攣により棄権してしまいました。

そして、なんとこれが彼の最後のレースになってしまいました。

そして再びドーピング疑惑をかけられる

同じ年、大規模なドーピング捜査が行われ、オリンピック委員会が資金提供をしていた生態医学研究所のコンコーニ教授が逮捕されました。

詐欺、医療過誤など複数の容疑で逮捕された教授は、選手たちに薬物を配っていたことも判明。

しかも、なんとこの教授、EPO試験の開発に携わっていたのだとか!

公的機関から資金援助を受けてドーピングの発見に力を尽くしていると見せかけて、実は裏で選手たちに薬物を配るなんて!どんな悪党だ!

大量のファイルが押収され、教授が国際的に活動していたことが判明。

これをきっかけに86名もの選手、20チーム中18チームが捜査対象に。

この中には歴代のツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアの優勝者をはじめ、パンターニの名前も・・・

メディアは再び手のひらを返し、パンターニを犯罪者扱いしたのです。

2003年のインタビューでパンターニは「禍いと自転車が一つになってしまった」と語っています。なんか悲しい・・・

そんな時にクリスティーナと破局。他に恋人がいると言われたとか・・・

大量のコカインを摂取するようになってしまいます。

パンターニの死

2004年2月14日、イタリアの田舎町にあるホテルで一人死亡しているのが発見されました。34才。若すぎる。

あまりに突然の、悲しすぎる死にイタリア全土が涙に暮れました。

結局ドーピングはあったのか?

おそらくあったのだろうと思わざるを得ないですね。

コンコーニの逮捕で、組織的なドーピング不正があったことも判明しているし、2013年にはランス・アームストロングがドーピングによる不正を認めています。

同じ年、フランス上院が1998年のツールで採取された血液を再検査し、パンターニの血液からもEPOが検出されたとのこと。

でも、映画内では本人がドーピングを自覚していなかったと取れる証言もあるし、疑惑をかけられた際のパンターニ本人の反応を見ると、本人の意思でドーピングしていたのかな?

気になるのはプロに転向したときの「自転車辞める」発言と、その理由「マフィア」ですよね。

組織的なドーピング、あるいは不正があることに、プロ契約をした時点で気づいた、ということなんでしょうか?今となっては答えは分かりませんね・・・

どちらにしろ、レースに出場したほとんどの選手やチームがドーピングをしていたのなら、パンターニだけがジロ・デ・イタリア2年目の優勝目前に出場停止処分になったのも納得いかないですよね。

映画の感想

ドーピングがあったにしろ、本人が意識的にドーピングしていたにしろ、していなかったにしろ、マルコ・パンターニが素晴らしい選手であったことは間違いないと思います。

仮に本当にドーピングしていたとしても、周りもしていたのならある意味公平な勝負だったわけですからね。

全力で戦い、貢献してきた自転車界に最後は裏切られるような形になり、大好きだった自転車が禍いと一つになってしまった、なんて胸が締め付けられました。

最期の瞬間、たった一人で何を思っていんたでしょうか・・・

マスコミに追い回され、犯罪者扱いされ、最愛の恋人に裏切られ・・・もし自分だったらと思うとやるせなくなります。

なんとなくこの映画を見終わると、「ドーピングがあったのか?パンターニははめられたのか?」という視点になっちゃうんですけど、

もう歩けないかもしれない、と言われるような大事故からの奇跡のカムバックや、ツールとジロのダブル・ツールという未だ破られない記録を打ち立てたことなど、

疑惑や悲しい死よりも、パンターニが全力で生き、自転車に情熱を傾け、勝つために走り続けた、そういう事実の方に目を向けたいな・・・

おまけ 映画の本筋と関係ないけど驚いたこと

パンターニが活躍したのが1990年代、亡くなったのが2004年だったこと。もっと昔の人だと思ってました。ごめんなさい・・・

選手たちが誰もヘルメットかぶってない!

自転車が全部ビンテージ?!自転車の進化ってすごい!

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